2008/06/24

フランス史課題 中世の歴史、芸術についてのレポート

 もうすぐ大学では期末の時期です。私が受講している「フランス史」では中世フランスの歴史と芸術について、自分でテーマを決めて書きなさい・・・という出題がされました。中世・・・というとアーサー王とかを思いつくのですが、イギリスだし…。
 そういえば最近読んだ澁澤さんの本の中にジル・ド・レエ候が出てきました。彼は中世の暗く重い宗教時代にあんなどんちゃん騒ぎのような殺人をしたひとだけれど、ジャンヌ・ダルクを助けてフランスの勝利を助けた人物でもありました。せっかくならジョルジュ・バタイユの『ジル・ド・レ論』も読みたかったし、ということでテーマはとりあえずジル・ド・レエがらみにすることに決定しました。
 一応図書館で5冊ほど、ジャンヌ・ダルクと彼に関する本を借りてきたので、明日からはメモをとりつつ読んでいこうと思います。
 先生が言うには「自分の感想でなく、読んだ参考文献をエディットしてほしい。」ということですので、まぁ突飛な発想はあまり期待されていないと肩の力を抜いてやってこうと思います。読んだものに疑問をぶつけつつ吸収していく、ようにして頑張ります。


 ちなみに本に対する投稿のときは「~である」口調を心がけるようにします。レポートのときのためになれるようにです。すべて「~である」「~だろう」では文がしょぼいだろうし、もっと試行錯誤してうまくひとに訴えられる文章を書きたいなって思うからです。練習あるのみ。

『ピエールとジャン(Pierre et Jean)』 モーパッサン(Guy de Maupassant) 

 中野の古本屋で購入したもの。モーパッサンは好きなので、よく文庫コーナーを見るのだけれど、今まで見たことがなかったものなので、たぶん今は書店では置いてないだろう。読めてよかったと思う。やはりモーパッサンの感情表現はまるで自分の身に起こっているようにリアルで生々しく生きている感じがするし、血がふつふつと煮える様な思いがする。いつもハラハラしながら読んでしまう。今回はうっかり電車の中で涙が出てしまうほどだった。
 少ない読書経験からバルザックと比較すると、バルザックはまるで客観的、死人が見たような乾いた眼で物語をたんたんと進めるのに対し、モーパッサンは主観重視の書き方で読者を小説の中にもぐりこませ、あたかも自分がすべての登場人物の体の中に入って経験をともにするような気分になる気がする。
 ピエールとジャンの性格と年齢差は丁度私と弟にぴったり当てはまり、熱しやすいピエールに反感を覚えるどころか彼に同情し、ジャンを妬ましく思った。ジャンよりもひどくイライラしたのは母親である。なぜ彼女は浅はかにも隠しとおせると思ったのか。まずそもそもジャンに遺産が回ってきたとき、ピエールにも分けてやれば世間にも疑われず、ピエールとジャン両方の息子の愛を受け続けられたのではないか。不倫愛でできた子供の幸せを思ってそうしたのではなく、自分の愛を貫き通せたという自己満足に酔っていただけのロマンチックな中年女性としか思えない。女は自由がないから、もっとしたたかに生きるべきだ。そして私がピエールだったらば、怒りにまかせて父親に真実をすべて話してしまうだろうと思う。結局彼は自己犠牲的な道を選び、奇妙な、血のつながりのない家族を残して離れてしまう。それは敗北であると思う。ジャンと母親の絆が深まるだけの結果なんて、ピエールはなんて無駄に時間と精神力を使ったのだろう。そして母親はなぜピエールもジャンも同じ自分の腹を痛めた息子なのに、ジャンを溺愛するのだろう。愛した相手の子のほうが可愛がれるのだろうか。女は恐ろしい。
 「名作ナリ。Une Vieノ比ニアラズ」と夏目漱石が評した文学。『女の一生』は少し長ったらしいかったかもしれないし、ピエールの短期間の激しい感情のほうがエキサイティングかもしれない。でも男がどんなものなのかがわかるのが『女の一生』で、女の酷さがわかるのがこの作品だと思う。
 モーパッサンが好き。

『黒魔術の手帖』 澁澤龍彦

 昔、よく小学生の時に黒魔術とかの本を意味もわからずに読めたなぁと今更ながら自分に感心する。サバト、黒ミサ、タロット、懐かしい・・・という感じ。
 澁澤さんの本はいつもとてもきれいな文章なんだけれど、この本は難しい。いや、必要なものを理解するには必要な知識を書いているのだろうけど、読解困難。中世なんかの観念を言葉で表すというのは大変なことなのだろう。むしろ私が小学生のときのように、なんとなく抽象的に覚えて理解するのが一番なのかもしれない。タロットの意味なんかは特に言葉にするとあまり意味が定まらず、いちいち覚えていくよりかはカードとカードの隣合いなんかで影響しあうところを読み取るほうがしっくりくるし、絵柄をじぃっと眺めて見出すイメージのほうが、本を調べて出てくる意味よりもメッセージ性のあるものになるだろう。
 いつも澁澤さんのエッセイ集には澁澤さんなりの解説とか、澁澤さんの感想とか、独特のビジョンが組み込まれていて、ついつい影響されてしまう。そしてそのコメントが毎回とてもやわらかな感じで、一生懸命難解な講義を終えたあとの、ご褒美的な雑談を聞いているようで、面白い。
 しかし内容の詳しさは、もしかしたらだいぶ前の本なので、ほかにオカルト書的に出された専門書のほうがはるかに細かく書かれているかもしれない。とくに黒ミサやサバトなんかはもっと詳細なものを読んだ記憶がある。オカルト好きな人は新しい知識、というよりは、澁澤さんの見解を垣間見る、という気持ちで読むべきだろう。

『異端の肖像』 澁澤龍彦

 これが書かれた当時には、この中のルドヴィヒ2世も、ジル・ド・レエ候もサン・ジュストもあまり知られていなかったのだろうということが、あとがきを読んでいてわかった。しかし、オカルトブーム後の現代においては、ジル・ド・レエ候も有名になり(なぜなら小学生のころから私は彼を知っていたから)、狂王ルドヴィヒ2世も映画化され(ぜひ見たいので近日中に借りてこようとおもう。予告編だけは見たことがある。主演男優が肖像にそっくりだと思った記憶がある。)、未知の異端はもうこの世の中に残っていないのかもしれないということが残念でならない。澁澤さんがこれを書いたときは多くの洋書を熱中して読みあさって、温めた卵を孵すように、日本の読者に紹介したのだろうとおもうと、そういった未知の世界の発掘はいかに楽しかっただろうとうらやましい気がする。そもそも洋書を読みあされる言語力もないのに大それた話ではあるけれど。
 私がこの中で一番興味をひかれた人物はデカダン少年皇帝、ヘリオガバルスだった。マゾヒスティックで中性的で、宗教的で肉欲的で、人間の自然な狂気の姿という感じが、後世にはこういった人物は俗物化して、ただのマゾ、おかま、狂信、色狂い、になるけれども、この時代においては何か神々しいものを感じさせるのだなと思った。こういうなにか狂気に憑かれた社会のなかでドロドロ生きるのも、案外人間らしくていいのかもしれないなぁ。またマゾヒスト研究の際に読み返したい。

2008/06/10

やっぱり読めない。

 今日は愛する町神田で千草忠夫版『O嬢の物語』を手に入れました!ひゃっほぅ。
 白昼堂々年輩のおじさんしかいないエロ本の古本屋に堂々と乗り込むアタクシ。コレクションのためにはどんな努力も惜しまない。おじさんたちをぎょっとさせても私はあくまでクールに目的のもの探しです。完璧主義です。これであと2冊。そのうち一冊は5000円・・・まだまだ買えるのは先かも。
 
 で、これは出てる翻訳の中で(アップルノベルですし)一番エロ小説じみた感じになってるそうなのですが。。。とわくわくしながら「ロワッシーの恋人たち」を2ページほど読みました。
 ・・・怖い(ノ_・。)
 ルネが怖い・・・。命令口調怖い。あぁぁ・・・ゾクゾクするのも否定できないけど、何でだろう。怖いです。読めない!!
 「君には知る必要はないよ。」とか、急に恋人に言われたらどうなるんだろう。でもOが感じてる不安とか、ちょーわかる気がして・・・はぁ。読めません。だってルネひどいんだもん(T_T)こんな恋人やだー。

2008/06/09

『私の奴隷になりなさい』『ご主人様と呼ばせてください』 サタミシュウ

 書店に、首輪着けた女の子の写真が表紙の本があったら、私みたいなドMでなくてもドキッとすることだろうと思います。ぺらりとめくった印象は「低俗感あふれる・・・携帯小説みたい。」でしたが、興味本位で購入。読まなければつまらないということもできないのですものね。
 さて、厚さと関係なく、内容の軽さゆえに2時間もあれば読み終わります。そして約30分くらいでどんな話か察しがつきます。あぁあぁ・・・まぁSM系出会いサイトで行われてることをまぁたいそうすごいことのように書いて・・・。この作家さん、結局何が描きたかったんでしょう。人間の性欲に対する感情を書きたかったならもちろん表現不足だし、客観的すぎるというか、肉体的な性欲の部分ばかり描きすぎていて、本自体の存在が一般文庫とエロ小説の間にあるくせに、セックスの描写も生ぬるいし(せめてもっと激しくプレイするならこれくらいの客観的表現のほうが興奮するかもしれないが、やってることの内容も大してハードでないのに、ぬめるような表現も少ないんじゃ燃えません。)小説として話はまったく退屈なストレートだし、さらに心情表現は稚拙そのもののように思えます。
 そもそも場面の切り替えや、構造は凝ってるのですが、なんだか人物設定そのものがあやふやというか、人間味を帯びるまでにきちんと表現されていないのに、セリフや行動ばかりでどんどん話が先に進んでいってしまうので、読んでいる側が内容に没頭できず、なんだか変にきもちわるい。これだったらネット探してくるSM小説のほうが全然面白いと思います。(ちなみに私は中学生のとき凡田英二さんのネットsm小説にはまっていました。)
 もしもこれが売れていて、これに魅力を感じる人が多いとしたら、嘆かわしい・・・と思いました。ケータイ小説のひどくつまらない日常感あふれるセリフに感動する人がいることも私はなんとなく日本の文化レベルの下落を感じます。かといって自分がじゃぁきちんとした文学レベルを持っているのか言えばけしてそうではありませんが。

2008/06/08

O嬢MANIA

 昨日は中野に行ってきました。まんだらけマニア館(?)は毎回私を苦悶させるところです。
 昨日は日本語のO嬢のマンガ、初版本と皮のカバーの分厚いO嬢のマンガに遭遇。特に心引かれたのは、後者。いつもいる髪の毛が長めのおにぃさんに中身を確認させて貰いました。
 あぁぁ・・・・。
 マンガはフランス語。右側のみにマンガは印刷され、左側には小説(解説??)がついております。絶対にレアもの。しかし、値段は¥8400・・・。貧乏学生には少々堪える値段でございます。
 以前ここで見つけた絶版『マゾヒストたち』(澁澤龍彦訳)は¥4500超で、その場は諦め、後日覗いたらもうなくなっていました。あの後悔の記憶が蘇りました。なかなか入荷しないものは買わなくては・・・。
 ところで、私はすでに『O嬢の物語』は
☆日本語文庫:
 澁澤龍彦訳(3冊目 2冊は布教活動しました) 
 鈴木(?)豊訳(神田で元々¥200くらいのが¥1200であった。即買い。)
☆フランス語文庫:
 『O嬢の物語』のみのもの(18ユーロ)
 『ロワッシーへの帰還』付きのもの(10ユーロくらい)
☆コミック:
 日本語版(こないだ新しく出た 全2巻 一冊¥2500)
 フランス語版(『ジュスティーヌ』入り 最近出た再録本 ¥3800くらい)
 ・・・と、7冊も持っているんですよね。結構マニアの域のつもりです。
 ちなみに訳で言うと澁澤龍彦のは時代的に削除しなきゃいけなかった表現があったそうで、完訳ではないそうです。そして鈴木豊訳は完全な訳だそうなので、絶版なのに1200円でとても安く買えて幸いでした。フランス旅行に行った際に買ったフランス語版は、日本で翻訳されてない、続きの部分『ロワッシーへの帰還』がついたものがどうしても欲しくて血眼で探しました。『ロワッシーへの帰還』単体では発売されていないため、本屋で検索してもらっても出ないし、色んなO嬢を中身確認しまくってやっと手にいれました。
 コミックはもちろんグィド・クレパクスのものですが、赤坂の本屋で偶然発見。買うつもりで探していたわけではなかったのですが、運命の出会いを感じて購入。フランス旅行中にフランス語版かイタリア語か英語版も手に入れようとしていたのですがどうしても見つからず(結局イタリアで『エマニュエル夫人』と『毛皮を着たヴィーナス』の入った英語版再録本だけゲット)たまたまフラッと入った中野まんだらけで見つけ、大興奮し運命の女神に感謝しつつ購入。
 
 昨日見つけたのが、もしもただ装飾が素晴らしいだけの中身同じものだったら買わなかったでしょうが・・・・。左側の文章が気になりました。小説総てをマンガと同時進行で同ページ数で納めることはできないだろうし、きっと今私が持ってないものが書かれている・・・そこが私を苦悶させました。
 いったん諦め、しかしカードで分割できたら買ってしまおうと腹を据え、再度入店(昨日4度目)。分割できるか・・・・できました。6回払い。ありがとう、神様。そして幸せの重荷を握りしめ、中野を後にしました。

 これだけたくさん持っていると、何回も読み返したのだろうと思われそうですが、たしかに日本語版コミックは何度も何度も読み返しましたが、実は小説は最初から最後まで読み返したことは1度しかありません。毎度毎度ページをめくる度に、O嬢の心情描写に心が揺さぶられすぎて、怖くて読めなくなってしまうんです。・゜゜・(≧д≦)・゜゜・。マンガはなんかOは無表情だし、美しいセックスコミックとして読めるのに、小説はどうしてもダメ。最初に読んだときが衝撃すぎて、あれから全然読んでなくても、まだトラウマです。でもそろそろもう一度読まなくちゃ。フランス語でも読みたいし。

 とにかく『O嬢の物語』は私の一生を変えました。私がどう感じ、どうされたいか、その怖さはなにか、全部が詰まっています。私も鉄の指輪で拘束されたい。と、思ってしまう。だから怖いです。とりつかれたような気がする。
 
 昨日フランス語版マンガをパラパラめくりました。普通の恋人だと思っていたのに、ルネにあんなことをされて、それでもOが「Je t'aime.」(「愛してるわ」)と、彼を受け入れるように言うと、ルネがそれを訂正させ、「Je vous aime.」と言うように直させます(「繰り返せ、あなた様を愛しております、だ」みたいな。)あぁ!!!これだけでもう私おかしくなりそうです。いままでTUで話しかけていた恋人にVOUSで呼ぶように命令されるだなんて!フランス語でないと伝わってこないニュアンスをこの二つの台詞だけで少し理解できて、それがとても新鮮で完璧な主従で、あぁ・・・素敵です(TωT )

 きっと卒論はこれにします。そのためには千草忠夫訳のもよまなくては・・・。まだまだマニアになろうと思います。今度は神田にまた探しに行きます。

2008/06/05

『東西不思議物語』 澁澤龍彦

 東京駅の本屋で、少し広めのスペースをとって澁澤さんの本がリコメンドされてました。
 なんだか面白そうなので買いました。
 どれもこれも微妙なオカルティズムで、黒ミサにしても黒ミサで使われるパンについて焦点を絞って書いてみたり、東西不思議・・・というタイトルどおり、日本にある民話は実は中国にも、ヨーロッパにもあるんだよ・・・みたいな小話的なものを集めたものです。
 澁澤龍彦の書く文章はとても軽くて読みやすい。回顧展に行っても思ったことだけれど、文学を楽しむ姿勢が文章に表れていて、こっちも世界に飲み込まれるような感覚で一冊すぐに読み終われるから不思議です。内容は興味あって、いろいろ発見もあるし、面白いはずなのになかなか進まない本とかが多いのですが、澁澤さんの本はいつもたいてい興味がとてもあるわけではなくてもすぐに没頭してしまいます。「ところがどっこい。。」なんて軽い口調で進む話に思わず車内でにやける私。
 さて、この本で私がとてもほくほくした気分になれたのは、「トラツグミ別名ヌエのこと」という章にトラツグミの声をいつも北鎌倉の円覚寺の裏にある自宅で聞いていると書いてあって、実は私は円覚寺の中で育ったようなものなので、自分が遠い記憶のなかで遊びまわっていた山寺の道を、私が生まれる直前まで澁澤さんは歩いていたのかもしれない・・・と想像したからです。また「天狗と妖霊星のこと」の章にも幼いころ建長寺まで遊びに行って真っ黒なカラス天狗の鉄像に妙な気分を感じたと書いてあったのですが、私も同じくあの高い山にところどころ聳え立つ大きなカラス天狗の険しい表情や不気味さに、まったく同じ気持ちをよく感じていたことを思い出しました。普通の仏像とは違ってなんだか緑黒く、山登りの途中にあって、天気の悪い日なんかには子供心に超現実的な恐怖を覚えました。たかが同じ場所で育っただけではありますが、なんかうれしい、同じ感覚。特にカラス天狗のことは、読んだ瞬間に遠い記憶の底から、小さいころ見上げたカラス天狗のイメージがフゥーっと浮き上がってきて珍しい感覚でした。
 話の内容はどれも他愛ない、日本の昔話が主ですが、どの話もどこで知ったか知らないのに聞き覚えがあるような話ばかりで懐かしい気分で読みました。母が教えてくれたのか、水木しげるの本で読んだのか。思ってみれば水木しげるの妖怪の本が家にあり、内容が面白いのでいつも一人で読んでいた記憶があります。「牡丹灯篭」や柄杓をあげると水を入れてくる海坊主の話もよく読みました。
 しかしなんといってもいろんな文献を相当読んでいるんだな!!といつもびっくりさせられます。とにかく柳田国男の本は読もうと思いました。江戸川乱歩も。ブログのタイトルはエロス文学研究と銘打っていますが、エロスと同じくらいオカルトも好きなのです。タロットとか。
 「女護の島のこと」のなかに男女別に住む島のことが載っていましたが、案外効率のよい結婚制度ができるのではないかと思いました。女子は女子だけのほうがいつも仲良くいられるし、男は男のほうがいいのかもしれない。たまに会いにくる妻への愛情のほうが、常にそばにいるうるさい奥さんへの愛情より深く情熱的になるのでは・・・。
  

『澁澤龍彦回顧展 ここちよいサロン』 (神奈川近代文学館) についての感想

先日生誕80周年記念で、横浜にある神奈川近代文学館に行ってきました。
澁澤龍彦回顧展 ここちよいサロン

 雨の日の夕方、閉館間際に行ったので、人はあまりいないかと思っていたけれど結構たくさんきてました。やはり人気なのですね。 時間がないとおもいつつ・・・じっくり見ていくと見甲斐のあるものばかりでした。
 知人友人の多い渋澤さんの世界は本当に広くて、これも読まねば・・・これも読みたい・・・ と、自分の読んだものの少なさに悲しくなるほどでした。 一年弱前に見た鎌倉文学館の澁澤展と展示してあるものは似ていて まぁどこかで読んだような・・・という感じでしたが、衝撃の出会いだった一年前を思い出し熱い気持ちになりました。
 しかし「ここちよいサロン」、となんだか澁澤龍彦のイメージとかけ離れたほんわかした副題のとおり、 いかに渋澤さんは交友関係が広かったか、あの素敵なお宅にどんな方が来て和んだのか、という澁澤龍彦自身の歴史をメインにするのではなく、その周りの世界を紹介したものが多かったので、 私の読むべき世界も広がった感じがして、非常に有意義な見学でした。
 とくにやはりフランス文学科の人間としては、どういう経路でサドに至ったか、が面白く ジャン・コクトーからアンドレ・ブルトンの『黒いユーモア選集』からサドに興味を持ったというのを知って、逆に私はじゃぁサドからアンドレ・ブルトン、そしてコクトーと、逆ルートだなと思いました。
 澁澤さんの使っていた辞書の分厚さ、ぼろぼろさに驚きました。私もあんな風になるまで勉強しなければいけないなぁと。
 そして何度見ても『眠り姫(?)』カバーイラストのショッキングピンクとグリーンにセンスの良さを感じるのでした。

そとでは薔薇がきれいに咲いていて、外人墓地も薄暗く、オカルトでゴシックな気分で帰れました。

少し忙しく行った日からだいぶたっているので少し記憶があいまいですが、このへんで。
生誕80周年ということで、もっとたくさんの本が文庫化されてほしいと願うばかりです。
読みたいけれど神田で探さねばならない・・・と思うと・・・うーん。